適当に縮小更新。


『新数学演習』の「積分の応用」のところを一通り終えました。
『パーフェクトリスニング』のCDが4枚あるのですが、やっと1枚聴き終えました。


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最近やった面白かった古文の話をまたしようかと思います(以前は、確か伊勢物語でしたが)。
(´-`).。oO(自分が面白かったと感じた古文は、「面白かった古文シリーズ」とでも題してブログに書こうかな……)
という訳で、今回は『発心集』です。

粗筋は(自分的に)要約すると以下の通りです。

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あるところに紙で作った布切れをし物乞いをしながら生きている非常に貧しい聖が居ました。
その聖は平素から意味の分からないことを呟いたり、変な言葉遣いを使う人間でした。
ですから、周りの大人はそんな人間を受け入れれる訳もなく気が狂った人間とみなされ、あまつさえ子供からも苛められていました。
しかし、それでも全く起こる様子も見せませんでした。

ある日、大雨が酷い時がありました。
当然この聖は住む場所もなかったので、ある立派な智者の家を訪れ、一晩その家の片隅で雨宿りさせてくれるように頼みました。
智者も、智者として人を差別など出来ないので、普通の人と同様にその聖を扱い、家に招くことにしました。
その晩、聖が「長年よく分からない事がありますので、質問させていただきたく存じます」と言い智者に質問をし始めました。
初めは普段どおりにあしらっていた智者ですが、聖が仏教の真理のような高尚な話をし始めるので、次第に熱中し、そのまま応答を一晩続けました。
その聖は朝になってその智者の家を出て行き、また智者はこの晩の出来事を周りの人に話しました。
周りの人はその話を聞いてこの聖を「仏の生まれ変わりではないか」と疑うようになるものの、その聖が平素とかわらない様子だったので半信半疑で、「そのようなことがあったのですか?」と沢山の人が尋ねました。
しかし、その聖はただ少し笑って答えることをせず、有名になったのが煩わしくなったようで、何時の間にかその周辺には現れなくなりました。

何年か経った後、ある人の目撃情報によると、違う国で数年間は相変わらず乞食修行をしていたようでした。
というのも、その聖は、大きな木の下で、その枝に仏をかけ、合掌をして座ったまま、暫くの間誰にも知られることもなく、その生涯を閉じたということでした。

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……泣けてきました(;つД`)
誰にどう仰られようと、こんな話で感動したのは疑いのない事実です。
最期のその聖の姿を想像すると……。・゜・(ノД`)・゜・。
なんとなく清春さんの『LAST SONG』が思い出されます(謎。


この話は、自分の内面が他人からの評価に左右されないように、気が触れたように振舞っていた聖の話です。
つまり人との交流を徹底的に避け他人のつまらぬ評価を超越しようする尋常ならざる強い精神の持ち主で、最期まで独りを貫いたということです。

本当に数日前に「批判が嫌い」とか書きましたが……自分は小さい人間ですねw
自分もこんな人間になりたいと思ってます……が、無論、そんな強い精神の持ち主じゃないので無理なのは明らかですが。

人につまらぬ批判をされたくない、交流を避けたい、と思うならば、キチガイに徹するのもアリなのですね……なんか凄く感動しました。
その聖を見て普通の人はのけ者扱いする一方で、智者くらいの人物でないとその聖の本質を見抜けないというのもまたなんと皮肉的なことですよね……如何に外側という上っ面だけでしか判断できないという判断力の欠乏さが現れているようにも思えます。
……その点では自分もいろいろ反省すべきことがあります_| ̄|○
いっそのこと、本当に気が触れた人間を振舞うのもアリなのかもしれませんね、他人の評価に惑わされたくなければ。


自分のような人間には無理ですが、最期まで他人と交流を断ち孤独の死を迎えるのは、自分の一種の理想とするところに相違ない気がします。
本当に、現実の実情とは離れすぎた理想――空想ですが。




で、こういう仏教テイストに溢れた話に感動してしまう自分は人間的にどうなのでしょうね(´Д`;)
別にどの宗教も信じている訳ではないのですが……。
たまに古典も読んでいてこんな感じで感動する話があるから面白いです。

そして、縮小更新なんて、古文の話で全く嘘になってしまった訳ですが……

後、コメントやBBSで返信を致しましたので、ご確認下さい。
……それ以外の方はもう暫くお待ち下さい、すみません_| ̄|○