10月25日の勉強記録

・テキストの復習


一日中ほぼ寝てはみたものの、風邪が豪も快方に向かわないのですが(´Д`;)
子供の風邪は高熱が出るが短期間で治る一方で、大人のそれは熱はあまり出ないが長引く、とはよく言うそうでして……
別に立ち上がれないほど辛いという訳ではないのですが(そもそもそうならば、ブログなんか更新できませんよね)、何をするにつけても気怠く感じるです。
今日は別にあまり興味のない講義でしたのでサボっても良かったのです(ぉ。
が、明日は古・漢文があるので行きたいとは思う一方で、それでまた悪化したら困ると思うにつけても……
明日の朝の体調しだいですね(´Д`;)


何故こんなに体調を気にしてるのかと言えば、来週の日曜日から戦慄の模試ラッシュだからです。


10/30(日) 阪大OP
11/1(火) 全統マーク   
11/3(木) 慶大即応
11/6(日) 京大即応OP


……来週は2日に1回は模試を受ける件について(;つД`)
そういう訳ですので、「体調不良で出来なかった」という言い訳だけはしたくないのです、全てA判取るとか嘯いた限りにおいては(氏。

――


今日は寝るもしくは寝ながら読書をしていたので、プラトン著の『クリトン』を読み終えました。
クリトンというのは、ソクラテスが不正に(?)裁判にかけられ死刑判決を下され投獄させられた際に、ソクラテスに脱獄を彼なりの信念のもとで脱獄を薦めた老友のことです。
梗概を述べると、ソクラテスは、結局自分自身の「善く生きる」という生き方に基づいて、クリトンの助言を聞き入れないのですが。

彼は弁明に際して「死ななければならなくなってももがきはしない」公言し、自分の生き方を貫いて死刑を甘んじたそうですが……自分が彼の立場になったとすれば、果たしてどうするでしょうね。
それが今の自分ならば、定めて生き長らえることを望むと思います。
というのも、まだまだやりたいことをやってないからです。
彼の如く何かを成した方ならば一種の諦念が湧くでしょうが、自分は未練ありまくりです。
生き方を一時的に変えてしてでも生き延びようと、きっと思うでしょうね……。

「善く生きる」というのは全体どういうことなのでしょうね。
『クリトン』ではソクラテス曰く、「善く生きることと美しく生きることと正しく生きることは同じ」と仰ってますが、では「善く生きること」と同値である「美しく生きること」や「正しく生きること」というのはいったいどういうことか、とまた疑問が生じるのです。
とはいえ、自分が勝手に推断した愚見を申し上げれば、それは「己の良心に従う」ということではないかと思います。
至って当たり前のことしか述べてないないですが……。
しかしながら、「己の良心」による価値基準と、社会の画一化された良心によるそれとは必ずしも一致はしないと思うのです。
ソクラテスも、自分の「善く生きる」ことが社会と一致しなかったから、このように死刑になったのではないでしょうか。
すなわち、自己の良心というものを、自分が蒙る被害も顧慮せず社会のそれにぶつけていくことが、善く生きること、ともある意味において言えるのではないでしょうか。


とまれ、ソクラテスは老齢(70越えていたかと思います)にしても尚熱いパッションを持った人間だったのだと推測され、それが自分にとって甚だ好印象です(´∀`)
自分の生き方を貫いて死ぬなんて、格好良さ過ぎるのですが(;つД`)
今はまだ生き方すら定まってない模索期な訳ですが、ある程度固まるってきたら自分も斯くありたいものです。
ソクラテスはこれほど情熱をもって生きてので、さぞかし生涯若かったのだろうと思います。
情熱がある人は何時までも若く生きれる、そう信じてますので(笑。

……Sprayで描いた夢はきっと叶う、のです(何。