1月30日の勉強記録

・Z會


Z會ばかりやってますね。
一応全教科見ていってますので、暫くZ會ばかりかと思います。






<以下、練習文で書きます>

↑昨日河合塾でdistributeされたました。
今までにも新product(?)みたいのもdistributeされましたけれども……

<以上、練習文で書きました>


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以下、閲覧注意です。
……別して荒れている譯ではないのですが(笑。
ただ、扱う内容に嫌悪感を覚えてしまう方もいらっしゃると思いますので。
































プロファイル研究所

このサイトは、猟奇殺人を科学的・総合的に研究することを目的としています
当サイトにはグロテスクな表現や画像が含まれておりますのでご注意下さい

ネットのお気に入りを整理していた時についこのページを開いてしまい……暫く見入って了いました。
恐らく比較的有名でしょうから、ご存知の方も多いかもしれません。
ご存じない方がご覧になる際は留意して下さい(笑。


初めてこのHPを拝見した時は凄い衝撃でした、3,4年前だったかと覚えてますが。
同じ種族である筈の人間に對して価値観が一変してしまいました。
自分が生きている日常は欺瞞によりて一見何事もないように見えている丈で、実は狂気で渦巻いているのではにかと推察せられた位です。
今でも、確かに一握り位でしょうが、何か我々の表には出てはいけないものが自分の生きている生活の日常の裏で蠢いているとは疑ってやみませんが。


そう思いながらも、自分はこういう類の狂気に惹かれ魅せられてしまいます。
興味がないとはとても言えません(実際に実行したいという意味ではないですが)。

このHPを見る限りでは、猟奇事件というのは性犯罪に分類されるものが多いですよね。
これを考慮する限りでも、自分は本能よりも理性に、いや理性と情熱に統制され度いと屡ば思って了います(苦笑。
そして、何より興味深いのが、猟奇事件を犯した人の大半が家庭が荒んでいたという事実です。
例えば、兩親の喧嘩が絶えなかったとか、甘やかされ過ぎていた等……
「三つ子の魂百まで」というのは眞實だと私的に思っております。
いくら環境の所為にしてはいけないとは仰いましても、一番初期の人格形成は本人の手ではどうしようもありません。


こういう過去の事例から帰納する限りでも、人間は性惡だという所感は益々強くなって了います。
時折出す卑近な例、というよりも自分の実体験で恐縮ですが、自分には母違いの一世代近く異なる愚弟が居ります。
彼がまだ1歳の時に自分が面倒を看ることも何度かあったのですが、悪さばかりしておりました。
多分あのまま誰も教育を施さないまま大人になったら……と、あの頃はよくそう思っていたものでした。
別に愚弟のみに当て嵌まる事実ではない、即ち、まだ幼児期においては誰にでも当て嵌まると思います。
そういうのを経験してきましたので、性惡説なんて信じれません。
性惡説こそが眞實です、無論、教育次第で幾らでも良くなる資質は有している生き物だとも信じてますが。
……余談ですが、宮崎から引っ越す前に2歳になった彼と會ったのですが(当たり前ながら)余裕で自分が誰か忘れ去られてました( ´・ω・`)


併し、そもそも惡とは何か?正義とは何か?……これは某對談で話されたような記憶がありますが(何。
正義とはただ唯一には定まりません。
文化・時代により変わります。
揶揄されるように、多数である方が正で少数である方が惡というのは否定しません。
左れど、先程のHPで紹介なさっている事例を犯すような方々が正だと看做す文明が何處にありますか?
よもや「津山30人殺し」事件のように、村の人間を虐殺していくことが正義ではありますまい。
ショーペンハウエルが『我々の真実の本質は死によって破壊せられえないものであるという教説によせて』にこうあります。
「一切の事物の儚さと虚無性を意識している人間ほど、自身のうちの本質の永遠性を一記する事が出來る」、と。
その所以は対照出來るからで、船の速さは海上では分からず、岸があってこそ初めてその速さが理解できるという例を挙げておられます。
してみると、正義もこれと同じではないでしょうか。
即ち、世間を脅かす、猟奇事件や凶悪犯罪をよく知ってこそ、その反對の概念が理解され易いのではないでしょうか。
何をすれば正義か、よりも、何をしてはいけないか、を考える、ということです。
話はずれますが、「生きる」ことを考えるには「死ぬ」ことを考えた方が良いと個人的に思っております。
(´-`).。oO(鑑三先生が『源氏物語』をこの世から根こそぎなくしたいという考えに異を唱えたのも同様の理由です……)
一方に拠るよりかは、両極端を拠った方が見えるものは多いのではないでしょうか。




……やや感情的になると、日本はまだ猟奇事件が少ない方だと思います。
本当にこの国に生まれて良かったと思います(;つД`)
個性がないと叩かれますが、集団との和を古来から重視した結果なのでしょう。
ただ、その中でも最近の日本の中でかなり凶悪「女子高生コンクリート詰め殺人 」とか凄く見ていて悲しくなりますけどね……
被害者の女子高生はどういう心境だったのでしょう……(´・ω・)
とはいえ、例えば10歳の少年らが2歳の子を殺害する海外に比べれば……と思ってしまいまいますね。
このHPを拝見して、海外には初夜権なるものがあった(とはいえWikiによると異議を唱えている説もあるそうですが)と初めて知った時には凄くショックで卒倒しそうでした、自分の倫理観を遥かに……_| ̄|○



確かに今は数年前に比べれば物騒な世の中になったかもしれません。
ですが、何十年・何百年前に比べればまだマシだと思います、實際に記録に残ってないだけの猟奇事件など沢山あったでしょうし。
諭吉先生が仰ったような、全員が全員人格者になる時代が來るというのは聊か疑問ではあります。
左れど、それに近い時代はいずれくると思います。
きっと何千年後かは今の自分たちの生活様式ですら遥か子孫から「あまりにも原始的な考えだ」と批難される日もくることでしょう。
それが何であるかは今の自分達には思い浮かぶことは出來ないと思うのですが(度々挙げてますが、ソクラテス奴隷制に疑問を投げかけなかったことを想起して頂ければ)。
ですから、現在のこの傾向も一時の衰頽でしょう。

……余談で、極論ではありますが、そういう社会を批難しておいて自分は何もせずに他の人のせいにする方には何も批難する権利は無いかと思います。
社会に積極的に関与せずに嘆息してばかりの方が多いので、民「主」主義ではなく民「客」主義だと看做されても仕方がないことかと……
無論、今のただ試験勉強に受かる勉強しかしてない自分にも「世の中が物騒になった」なんて批難する権限はないのですけどね。
政府or国がなんとかやってくれるだろうとなんか思ってしまう節がある時点で既に「主」でなく「客」でしかありません……


犯罪心理學とか面白そうですよね(´∀`)
……実は、確か講談社の新書の『犯罪心理学入門』という本丈買っておいてまだ讀んでないです_| ̄|○
嗚呼、やりたいことが沢山あります……


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昨日の分も書いてしまった位の分量ですね。
……これ書くのに1時間くらいかかりました(´Д`;)
もう直前期なので、時間をかけないように気をつけます。

後、明日からは練習文(日本語を部分部分英語にした文章)でもっと書くようにします。
実践してみないと有用性があるかないか分かりませんので。