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老年について
キケロ
一応は対話形式なのですが、殆ど大カトー(84歳)の独り語りという形式で展開されていく文章です。
文学の中で初めて「老齢」というものをプラスに著した文章らしいです。
それ以前は高齢化することを厭う文章だったらしいようで……何時の世も似た嫌いがありますね。
ただ、全員が全員の老年が良いものである肯定している譯ではない、というのがポイントでしょう。
誉められるのは青年期の基礎の上に打ち立てられた老年のみ。
言葉で自己弁護をしなければならぬ老人は惨め。
蓋し、青年期に積み上げた者がある老人のみが賞賛に値するということでしょう。
カトーが例に挙げている老人は、皆、年齢を関係なく自己のやるべき事に打ち込んでいる人物ばかりです。
また、後者の文に関しては、他に、「老化」を言い訳にするのは愚人の行い、という旨の記述がありました。
特に成程と思わせられた部分がこれでしょうか。
「死」があらゆる年代に共通なものなのに、老人を批難するのはどうしてか
確かに、明日は自分かも知れぬ「死」なのに、老齢な方を「死ぬだけの老いぼれ」とか批難するのは間違ってるかもしれません。
死は誰にでも公平にすぐ傍にありますからね。
讀了して、長生きするのも悪くないのかもしれない、と少しだけ思ってしまいました。
無論、賞賛に値すべき老人になれればの話ですが。
実際に、ある話に拠れば、単純に年数だけを重ねるならば、年を取った方が記憶力が良くなるそうですからね。
ある事象に対して年を重ねれば重ねるだけそれに触れる回数が多くなると同時に反復学習を行っていることになり、必然的にその事象に対する記憶は段々と確乎たるものになるそうですからね。
とはいえこれも、ボケなければ、という前提があっての話でしょうが。
……あまり年を取るのを嘆くのも安直過ぎるのかもしれませんね。
捉えように過ぎない気もします。
キケローのこういう捉え方は当時凄く目新しかったのでしょうか……