[本棚]――[書評]――[第三回]――[『死ぬための教養』]


死ぬための教養の画像
死ぬための教養
嵐山 光三郎


嵐山氏の人生の体験を踏まえて数々の書籍を紹介しつつ展開しております。
残念ながらそれらの書籍の中に自分が知り得るものは皆無でしたが……。

無宗教の我々が死ぬ時に「死ぬための教養」が必要、というのが嵐山氏の弁です。
死ぬためにはそれなりの準備が必要、ということのように受け取れましたが……

嵐山氏は数回臨死体験をしたそうです。
自分は未だ嘗て入院したことすらないので、況して死にかけたというのは絶無です。
死にかけた經験により、その後の人生観がお変わりになる方もいらっしゃるようなので……
密かに臨死体験とはどういうものなのか――經験はしたくないですが――興味がなくもないのが本当のところです。
生に対して一種の覚悟が生じるものなのでしょうか……?


余談ですが……
ウィトゲンシュタインが「死は人生の出来事ではない、死の直前に人生は終わるのだから」と仰ったことや、
養老孟司氏が「(話に無駄が多いから)現代文学が一番つまらない」と仰ったことにも感心致しました。
他にも西行の俳句も面白かったりですが……

願はくは 花の下にて 春死ななん
      そのきさらぎの 望月の頃

これを歌った時は季節は正に春とちょうど反対の時期だったらしいですが、これを歌ってから7ヶ月を閲し、正にサクラの季節に逝去したそうです。


後、自殺願望は、事故傾性(事故をおこしやすい傾向)を高める一つの要因になっているらしいです(・∀・)
フロイトに拠れば、無意識的な自殺の意図が偶然に与えられた外的な状況の利用を試みるそうで……落馬事故やピストルの暴発による死亡などがその例らしいです。
筆者は人生面白い時期に「本当にこのままで良いのだろうか」と思った矢先に、懲罰的に事故にあったそうですよ。
……なんとなくイメージトレーニングにも繋がりそうな話ですね(笑。


嵐山氏はバラエティ(?)等のTV出演などかつてなさっていたようですが、恐れ入ることに、そのようなことは存知得ません。
屡ばTVに出演なさっている方の教養を疑いがちですが、この方の教養には足元にも及ばないでしょうね。

……世の中広いですね(´∀`)