[雑記]――[日記]――[5月25日]――[31ページ目]

皆様お元気でしょうか。
自分はここのところ鶏鳴の時刻まで起きていることが多いです。


『ラスト サムライ』を視聴しました。
が、別してここのブログの本棚に取り上げる必要もないかと……(ぉ。

トム・クルーズ氏演じるオールグレンが日本の反乱軍に捕まり、供に政府に反旗を翻した、という話でしょうか。
オールグレンは現地在住のインディアンを迫害したことに自責の念を駆られていて、その抵抗の様子が日本のサムライの様子と一致したそうですが……。

単純に主人公は死なない&強い法則があからさま過ぎですね(;つД`)
そして、渡辺謙氏演じる勝元だけが英語を喋れるのが、いろんな意味で、驚きですよ(何。

そういう訳であまりお奨めはしません、以上です。


妙な空想に取り付かれてます。

誤解を恐れず開陳しますに、矢張り今居る世界は我々個人個人が創ってきた世界なのではないかと……
そこにどんな法則や真理が存在しようと、個人の主観によっては捉えられないもの、一方で自分だけが知覚できて殆ど多数の人が知覚できないものがあります。
つまり、いくら客観性がそこに存在しようと、我々は主観というフィルターを通じてしかそれを見れないということです。
ですから、今、目の前に存在する世界は我々の主観の産物に他ならず、全く知覚できないものは全く存在しないのと一緒になってしまうのではないでしょうか。
次からが猛反発を受けそうな部分ですが、目の前に居る人が一見他者に見えても、我々の主観によって創りえた産物です。
というのは、その人は自分が選りすぐって認識してきた人ですし、何よりその他者に我々という主体が実際に影響を及ぼすことが出来るからです。
自分が影響を及ぼすことが出来る限りでは、仮に相手の人格を尊重を無視すれば、我々個人個人がこの世界の創造主です。
そして死ねばこの世を知覚できなくなるでしょうから、それはこの目の前の世界が終わることになるので、そういう意味でも我々が個々に創造主だといえるのではないのでしょうか。

……と、凄く謎な空想ではありますが……
例えば、自分が悲嘆すべき環境に置かれている、と思うのは一種の誤りで、自分が何も手を加えず或いは望んで創ってしまった状況なのかもしれない、ということです。
そう考えると、悔悟の情が生じざるを得ません(´・ω・)