[雑記]――[日記]――[8月23日]――[60ページ目]

ついこの間まで偽教授氏がお書きになった小説を2、3回ほど讀ませて頂き、僭越ながら役に立たぬ些細な意見・感想等を書いたりしてました。
その小説は、偽教授氏がとある雑誌に投稿なされる予定のものらしいです。
前回も少し述べたようにラノベなのです。
しかしながら、自分のような愚者の意見が一助になるとすれば、ジャンルの問題など些細な問題です。
確かに自分の出来る範囲でですが、矢張り、こういう方面で友人の助けはしたいと思ってます(穏君のネットゲーのテストも同様です)。


単刀直入に申し上げれば、何かを為そうとする方は好感が持てる譯です。
縦え当時の自分との交流は忘れらとしても、何年後かに友人が名を揚げることが出来たのならば、宛も自分のことの様に、素直に喜べると確信しています。
何気に、密かに拝読しているブロガーさんが成長なさる姿を見ていても嬉しいくらいですしね……(´∀`)


以下自分の狭窄な視野から故の見解ですが、自分らの年代ならば須らく冥々之志を抱くべきです。
特別に周りに害を与えない限りは、別にその方面は何だって構わないでしょう。
切磋琢磨してお互い向上しあうのが、本来の今の世代のあるべき姿だと思います。

人間延いては生物自体が学ぶ存在なのです。
例えば、鼠を迷路に入れてゴールに餌を置いたところ、十数回程度で殆どの鼠が一度も道を誤ることなくゴールに辿り着いたそうです。
(あまり一般の方に分かる例ではないのですが)東方の正直者の死大回転というあり得ない動きにリプレイを取るために、一説によれば千回以上やり直したそうです。
蓋しく、生物は何度も誤りを犯していくうちに徐々に目的に達するまで、反復を要します。

それなのに、この全員に普遍的に備わった能力を使わないで置くのはどうしてなのでしょうか。
少なくとも自分の目には、半数以上の方が何らかを言い訳に仰ることで、ご自身のこの本来の能力を発揮するのを避けているように感じます。
反復して学んである目的に到達し、或いは集積したものから新たに何かを作る――素晴らしいことだと思いませんか。

確かに、自分の今の状況を問われたら、そうそう申し開きすることはございません。
しかしながら、敢えて「今は目標に達成するまでの誤りの一段階」とだけでも答えてさせて頂きます。
成程、もっと現実を弁えるべき、と仰られるかもしれません。
ただ「あの頃は若かった」なんて言って敢行しなくなるのは、まだ年を取ってからでも遅くはないのでしょうか。
同じ年代の方が平気で「自分には無理」とか仰るのを見るにつけては、心底悲しくなってしまいますよ……



……と、あまりにも今年の夏が暑いから、自分も本文まで熱くなってしまったようです(死。

なので最後に、場を白けて寒くするために

「東中出身涼宮ハルヒ、志のないただの人間には興味はありません」

と、パロっておきます(ぇ。




……何れにせよ、何か目標に向かって頑張ってらっしゃる方には触発されるものですよ(´∀`)