11月15日の勉強記録

・東大過去問
・京大過去問
・京大即応OP復習
Z会
・新数学演習
・パーフェクトリスニング


殊更勉強記録に入れるつもりはないのですが、倫理の一問一答を電車の中で読んでいたりします、最近は。
その中で「科学革命」という単語がありまして、今年の自分が受験した東工大の後期の小論文に『「科学革命」はどのようにして起こるか述べなさい』という問題がありました。
倫理用語集によれば、「17〜18世紀に起きた科学的方法の確立と知識体系の基礎付けの総称」集約することが出来ますが……
自分の想定した「科学革命」というのはこの時期で概してあっていたのですが、ここで「フランシス・ベーコン帰納法が……」とか持ち出したのは間違いなのでしょうかね(何?
とまれ、小論がいくら点数が頂けたかは存知得ませんが、数学が限りなく0完では受からないですよね(´∀`;)

何気にクーンのパラダイムについても、倫理で軽く触れているようです。
受験した当時はクーンという人名もパラダイムという単語も知らなかったのですが……
悲しいことに、去年の二浪時は倫理の分野においても勉強不足だったという事実が判然としてしまいますね( ´д∩

しかしながら、卑しき私感を述べるに、パラダイムの内容はクーンのみが殊更に提唱した内容でも無い気が致しますが。
デカルトも『方法序説』の便宜上の第6章で、似たようなことを提唱しているように感じられます。

――


「理系の人間はキモイ人が多い」と主張する文系の方がしばしばいらっしゃるように思われますが……
文明の利器的なことに関して言えば、その彼らがキモイという理系の人間側の恩恵を受けているに相違ありません――中の生活ではパソコン、TV、CD、外の生活では車、電車等、列挙するのはたわやすいです。
それらの何れも文系の範疇に存在する学問では創り得ません。
平素からキモイ人間の側の恩恵を受けているにも関わらず、理系の人間を非議していられるでしょうか?

一方で、「科学的でない文系的なものは不要ではないか?」と問われれば、それもまた間違いだと思うのです。
人間がモノとして扱える限りにおいては、もしくは人間皆自分自身の情念を統制出来る限りにおいては、なるほど自分も不要だと答えるでしょう。
ただそんな状況下は未来永劫有得ないのは疑いがないですので、一部の理系の方に見られる文系的科目の排斥的な態度にも同様に問題があると言えます。
その点においては、諭吉先生が、「文学は虚学」と見なしたことに関してはたまさかに思われるのですが。

……と、これは昨日の自分の思想を敷衍するような、卑近な体験例を示したようになってますが……
いずれにせよ、文系が理系をまたはその逆を謗るのは程度が低いように思われます。
そうやって互いに誹謗している間は、偏狭な視野から抜け出すことは不可能でしょう。
……そもそも文系理系に分けること自体が、極論からすると、間違いだと思ってますけどね。

偉人を見習って、多分野に向けて甚大なる情熱を持って接していこうではないですか(´∀`)