[本棚]――[書籍]――[第27回]――[朝日美術館 (西洋編5) ムンク]

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朝日美術館 (西洋編5)

ISBN:4022704055


ムンクといえば、教科書通りに『叫び』か『思春期』くらいしか存知得ませんでしたが……
實際のところ、かなり多様な絵をお描きになっているようですね。
初めの方はどちらかというと寫實的なのに、年を追う毎に、段々と模索的な絵に仕上がっているように思えました。



ムンクの『叫び』は数度目にしたことがあります。
ですが、『叫び』の絵に普通は氣づかない位に小さく
これは狂人だけが描ける絵である
という文字が刻まれているのは初めて知りました。
「狂人」=「天才」と置き換えるような自負もあったかと自分も思います。
ですが、實際のところ、ムンク自身かなり精神的に病んでいたそうです。
大通りの人が怖くて大量の酒を飲まないとその大通りを横切ることができなかったり、3という数字を不吉とするようなオカルト的なところもあったようです。

しかしながら、同時に、そのような精神状態こそがムンクの作品を創り得たといっても過言ではないようです。
『叫び』なんか正に病んでないと描くことが出來なさそうな絵にも感じますし……
他にも――教科書にはあまり相應しくないでしょうが――女性の絵の縁に精子や胎兒らしきものが描かれていたり、白骨死體と抱き合う少女を描いたり……
と、なかなかショッキングな檜も多いです。


「私たちにとって有害となり、私たちのところでは病的となりかねないものが、藝術家のところでは凡そ自然なのである」
「今日では天才が神經衰弱の一形態と判定されても良いように、恐らく藝術的暗示力もそうみなされて良い」
「健康な人にとっては病氣であるということが、生への、生の高揚への一つの強力な刺戟にすらなりうるのである」

以上は、巻末の解説にあったニーチェの言葉の引用です。
自分も似たようなことを思いましたね。
特に先日讀んだ『有夫恋』からもそう感じましたが、眞に藝術家肌の人は何處か氣が觸れている嫌いがある、と。
眞に心惹かれる藝術とは心を病んでいないと生まれない、そんな氣が致します。
ムンクが言うような、寫實的に讀書する女が描かれた檜には、美しいと思うものは確かに存在するかもしれませんが、心の深奥まで迫ってくるようなものはないと思うのです。
實生活では支障を來たしましょうが、矢張り社會にとって狂氣というのは必要惡なのでしょう。


……ムンクの中では『声』が氣に入りました(´∀`)