11月28日の勉強記録



↑冬期講習で受講する科目です(笑。


Z会
・東大過去問
・新数学演習


受験報告書というなるものを今日提出しました。
名市大の薬は第一回、第二回記述ともA判でしたので安全校設定でいこうと思っていました。
ですが、第三回で不覚にもD判を出してしまいましたので、なかなか安全校という訳にもいかず……
些か困っております(とはいえ、そのまま提出してしまいましたが……)。
……全ては數學のせいです。゜(゜´Д`゜)゜。


――

以前から長々と申し上げてましたデカルト(Rene Descartes)の『方法序(叙)説』について愚見を述べさせて頂こうと思います。

愚昧なる自分は、『方法序(叙)説』を読了する以前は、デカルト演繹法(deduction)、というイメージがあまりにも強烈でした。
ですから、経験則に拠らない、すなわち、明証的真理から推論していってこの世の中を明らかにしていく、というものばかりだと思ってました。
それと同時に、デカルトは経験を全くアテにしない人物だと自分が謬見を持していたものですから、デカルトこそ推論のみによる真に盲目的な人物なのではないかとさえ思ってました。
実際にそれまでは、イギリス経験論の方々では経験的に帰納するという帰納法(induction)のフランシス・ベーコン(Francis Bacon)の方に好感を持ってました。
しかしながら、やはりただの自分の謬見に過ぎなかったようですね。
徹底的に周りを疑った結果、本当に正しいのは考えている自分――「私は考える。故に私は存在する(cogito ergo sum)」の意味は読了して初めて理解せられたように思えます。
そもそも『方法序(叙)説』は正式名所ではなく、

『彼の理性を正しく導き、諸々の学問において真理を求めるための方法の序説、なおこの方法の試みなる屈折光学、気象学及び幾何学

というのが正式名所だというのも、実際に『方法序(叙)説』に触れる事がなければ知らずに終わっていたでしょう(笑。


この書物は、正直に申し上げれば、凡夫なる自分の理解力を超えている部分が多々ありました。
例えば、解剖学の話を展開されても、無知なる自分にはなかなか理解し難いです。
ただそれでも、4つの規則や3つの格率などに心に感じる部分もあり……
次回は特にそれらについて語らせて頂こうと思います。