――[大学受験の軌跡]




もう気持ち的には二度と大学受験に関わるつもりは無いので、大学受験における皮肉的にも長い自分の歴史を総括して纏めようと思います。

つまり、殆ど自己満足的な内容なので以下閲覧注意です。

唯一参考になろうと思われるのは、自分と同じ位の成績の方のみで自分と同じくらいに運がない方は、ひょっとして負け組み的人生を送る可能性があると事実のみでしょう(笑。




片付けして昔のモノが断片的に見つかったので、それも載せてみます。






































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【現役時】




無謀にも東工大を目指してました。

どれくらい無謀かというと↓の成績くらい無謀でした。




[第四回代ゼミ記述]






校内の成績から学校のレベルを察してやって下さい(´;ω;`)ブワッ

(´-`).。oO(矢張り、ここの学校の物理の悪さは異常だったと思うんですが……どう思われますか、ここをご覧になっている同校の方々(ぇ?) 

高校三年の秋ごろから真面目に勉強していたと思いますが、勉強していたのは主に物理だけでした。

それでも偏差値60越える事も無かったですが……




センターの点数はもはや不明ですが、ギリギリ7割にすら到達してませんでした。

足きりラインがとても低い京大理学部の足きりにすらひかかる点数だったのを覚えております。

物理だけは8割あったのを覚えてますが、残りは8割いった科目は皆無で……数学?に至っては44点でした。


そういう感じでセンターも取れなかったので、大人しく周りが薦める熊大の工学部を受験することにしました。

あの頃は無謀の塊だったので、赤本買ったのが試験3日くらい前で、赤本の問題を目にしたのは試験前夜のホテルの中でした。

それまでは、ずっとZ会の一番簡単なコースを受講していたので、それの勉強しかしてませんでした。

あの頃が一番のZ会信者だったかもしれません(´∀`;)


結果として受かり、受かった後に嬉しくなり結構行く気になってたのですが……

いろいろ親子関係の不都合により一浪することになりました。

後期は未受験でした。




<センター>

不明

<受験校>

前期:熊大工 合格

後期:熊大工 未受験




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【一浪時】


九州ではそこそこ有名な(?)北九州予備校に、居候先から通うことになりました。

この頃から浪人するならば「東大を目指すしかない」と思い始めたのですが、実は恥ずかしいことにクラス分けの試験の結果が宜しくなかったので、九大コースに在籍することになりました。

ただ、周りが自分より出来ない人が多くて、多分、そのクラスでは1番だったと思います。

その時にマーク模試でしたが、東大でC判が出ていたことに大分驚かれてましたので。

こんな感じで自分は、更に調子付きました。

しかし、夏の面談で当時のチューターからは「クラス内で優秀だが、二次力からして、東大は無理なのでせめて阪大に……」というようなことを言われて不満を覚えてました。

次いで居候先の家でトラブルもありましたので、結局、予備校を辞めて実家に追い返される形になりました。


辞めたのがちょうど夏の終わり頃で、秋からは宅浪という形になりました。

秋からはZ会の東大コースを受講することにしました。

相当苦戦しました……が、この頃が一番成績が伸びていたのではないか、と思います。


秋ごろに存在した今は亡きZ会模試で


[慶大即応]





以上のように、二次型の難しめの記述でそこそこ相手になるようになり、その後の模試では




[東大即応OP]








のような成績を取ることが出来、当時の自分としては、B判でも非常に満足しておりました。

この時期は調子付いて頑張っておりました。

センターの点数は不明ですが、国語以外は大きくミスることもなく、8割は超えることが出来ましたので前後期問題なく東大に出願したのですが……


<センター>

不明

<受験校>

前期:東大理一 不合格

後期:東大理一 不合格


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【二浪時】


この頃もまだ割と落ちても元気でした。

というのは、「元々現役時代が現役時代だったし……落ちても仕方ないくらい」とか思ってたからです。

宅浪をし、Z会の東大コースとセンターコースをメインとしました。

ブログでの交流も多かった時期なので一番精神的には楽な時期でした。

そういう訳で、何故か一時期


[全統マーク模試]


のようにふざけて文系になってました。

(´-`).。oO(尤も、「文系」の成績は大したことなかったですが……) 


ちなみに一番悪い成績を取ったのもこの頃です




[全統医進]




数学5点とか始めて取りました。

あの頃、ふざけて医進模試を受験して、更には論文まで受験してスミマセンでした。




とはいうものの、本命の志望校型の模試は



[東大即応OP]








のようにA判を収めれるようになってはいました。


ただ、センターの英語で大きくミスってしまい……後期は東工大にせざるとえませんでしたが。




<センター>

英語 150

日史  66

物理 92

化学 90

国語 157

数? 100

数?  85

倫理 85

<受験校>

前期:東大理一 不合格

後期:東工大第一類 不合格




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三浪時】


三月に東海地方の方に引っ越すことになり、四月はバイトしながら勉強していました。

そして、店長と問題を起こしてバイトをやめる事になりましたが、同時期にお金の工面出来ました。

そういうことで、河合塾に通うことになりました。

コースは一番レベル的にも値段的にも高いコースに入れることになりました(模試認定)。

多分東海オンリーな気がしますが、SUPER ONE WEXとかいう名前だったと思われるクラスです。


この時は周りのレベルの高さにただ驚くばかりでした。

実は授業も殆どついていけなかった気がします、というかクラスで下位層だったと思います(´・ω・`)

そういう訳で奮起されて頑張っていた時期です。


駿台ハイレベルが



[全国記述・ハイレベル]








位の成績で、直前期の東大即応が



[東大即応OP]






位でした。


ただ、センターではまた英語で失敗してしまい、後期は東工大にすることにしました。

今回は三度目だったし、成績も良かったので、受かるつもりだったんですが……




<センター>

英語 169

Lis 46

數1 86

數2 100

国語 172

物理 95

化學 94

倫理 89

日A 71

<受験校>

前期 東大 不合格

後期 東工大 不合格




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【四浪時】


そろそろ東大と相性が合わない気がしたのと、もう一浪するならば医学部にするという条件の下で、名大を目指しました。

この時は今まで持っている教材をひたすらやりまくることに終始しました。

正確にいうと、「数学が出来る人間が勝つ」と思ったので数学を、取り分け、何故かZ会の京大コースの数学ばかり解いてました。

本当に京大数学ばかり解いていたので勢いで



[京大即応]


のような数学特化の成績を取ることが出来ました。

模試で取った成績の中で一番嬉しかったのはこの模試ですね。


ただ、名大OPはC判に留まるのみで、センターで理科社会でミスり目標の9割を切ったので泣く泣く志望校を変えることにしました。




<センター>

英語 188

Lis   36

国語 151

数? 100

数?  91

物理  82

化学  88

倫理  83

日史  82

<受験校>









まだ全部結果が出た訳ではないですが、何処も望めなさそうな手ごたえだったという……('A`)




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どれだけ長いんだという感じですが……

とはいっても、矢張り、今の自分にとっては一回纏めてみたかった訳です。

もう恐らく「[大学受験]」と日記タイトルにすることもないでしょうしね。



……どれだけA判で落ちたんでしょうね(´∀`)

実力がなかったと思う部分も確かにありますが、何かこれだけ本番でミスが多いとそれ以上の運がないとか或いは超越的なものを感じますorz





本当に疲れました……(´・ω・`)

これからどうしましょう……





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<追記:07/3/25>

中期の大学に合格出来ました。